有機栽培コーヒー豆を丁寧にハンドピック&自家焙煎し奄美をイメージしたオリジナルブレンドや、お好みに合わせたブレンド作りをしています。

南海041120

●奄美の将来像を考えるー4●
南海日日新聞2004年11月20日

●期待したい地元の力
 観光にしても、Iターン・Uターンにしても、誤ったイメージを修正し、それに対して提言をできるのは、地元の力だ。
 「マスコミに取り上げてもらえば、人が来る」というのでは、真の地元の活性化にはならない。問題は、「どう取り上げられるか」「地元からどういう情報を発信するか」であろう。
 奄美には、豊かな自然があり、複雑な歴史的背景によって形成されてきた独自の文化がある。しかし、そうした事象が「ある」だけでは、その素材の扱い方は扱う側の意識に任されてしまう。ましてや、南の島幻想に沿った原色の色合いを島自らが発信することは、島で暮らしている人たちの持っている島に対するイメージと、幻想によるイメージのズレを放置し、あるいはその溝を大きくしていく危険性がある。
 歴史にしても、琉球王朝の支配を受けた、薩摩に搾取された、という一面的な見方だけでなく、琉球王朝の支配がどの程度の影響力を持っていたのか、また、薩摩藩時代にも裕福な暮らしをしていた人たちがいたことを、当時の人たちの生き延びる知恵と力を検証するという意味で見直すこともぜひ行ってもらいたい。
 いまの奄美にとって、自然や文化・伝承がどういう意味を持ち、島の人たちにとってどんな意義があるのか。そこをきちんと検証し、自信を持ってメッセージを発信できるようになることが急務ではないか。

須子茂
飾らない奄美の姿を見つめ直すことも将来像へつながる

●マスコミとの関わり方を見直す
 マスコミが出せる情報には限界がある。一度、奄美を取り上げた雑誌が繰り返し奄美を取り上げることがあるだろうか。マスコミが提供する、消費するためだけの情報は、いずれ飽きられる。ブームは、ブームでしかない。過ぎ去るからこそブームなのである。そのブームの中から、何を生み出していけるか、どこへ踏み出して行けるか。それこそが、地元に突き付けられた問題なのである。
 奄美を訪れるリピーターが期待するものは何か。高い航空運賃を払ってでも奄美へ繰り返し行きたい、という観光客は少なくない。それこそ、奄美のもつ奥深い魅力の力ではないか。彼らがどこを繰り返し訪れているのか。それは、決して観光ポイントに限ったことではないはずだ。加計呂麻島のように、いわゆる観光ポイント、大型観光施設がない場所にも、リピーターは訪れ、Iターン者がいることは、そのひとつの証左ではないだろうか。
 島で暮らしていると、島の環境はごく当たり前のものであり、かえってその特殊性が見えにくい。これは奄美に限ったことではない。マスコミの取り上げ方を黙認するだけでなく、島外者の視点を利用しながら、島の特殊性を改めて見直し、マスコミに新たな提言をしていくことも、今後の島の活性化には不可欠と思われる。
 目的は、「マスコミに取り上げてもらう」ことではない。奄美の特殊性とは何か。奄美はこの先、どうしていきたいのか。その明確なビジョンをもつことである。

●自分たちが伝えられるものは、果たして何か
 昨年末から今年の前半にかけて、ある旅行ガイドブックの取材で沖縄・奄美地方を担当した。沖縄で、「沖縄の文化はすごいでしょ、ってみんな胸をはって言う。焼き物、紅型、いろいろあるけれど、では、その何がすごいの?って聞くと、答えられる人がほとんどいない」と言う人に会った。奄美もまさにそうではないか。
 奄美の魅力は深いと言うけれど、では、その深みとは何だろうか。それは他地域とどう違うのだろうか。あるいは、どのように受け継がれてきているのだろうか。
 こうした「当たり前のように語られていること」を再度見つめ直すことによって、地元が発信できる情報に幅と奥行きが出てくるのではないか。「三点セット」が悪い、と言うのではない。それだけでは限界がある、ということだ。段階的な情報を備えることで情報量を増やし、奄美という総体を分析できる情報を蓄え、発信することが必要な時期にきている、ということである。
 そして、その作業を進めることによって、これまでの奄美を多面的に捉えることができ、将来の奄美の姿が見えてくる。その結果として、「マスコミ」が「他にはない場所としての奄美の魅力」を伝える「手段」となるのではないだろうか。
 先に触れたガイドブックの「既存の観光情報だけでなく、当該地域の歴史、文化、自然的特徴からその地域の特性を浮き彫りにする」という当初の企画は、どこへ行っても歓迎された。「さまざまな情報がでているが、どれも真実の姿を伝えていない」とも言われた。これは、出版に関わる者にとって、非常に厳しい言葉であった。限られた取材日数、限られた誌面、限られた予算の中で、「真実の姿」を伝えることは制作サイドにとって非常に困難なことであり、また「真実の姿とは何か」という問題も含んでいる。しかし、こうした言葉をマスコミにぶつけていくこと、それもひとりではなく、さまざまな立場から同じ言葉を投げかけ、それでは何が真実か、と聞かれた際に具体例を提示できるようになることが、ステレオタイプの南の島幻想を打ち破っていくことにつながるのではないだろうか。

●最後に
 ときどき、インターネットで物販をしているネットショップオーナーから、「メールマガジンの文章がうまく書けない」という相談を受ける。メールマガジンには、読みやすいフォーム、効果的な宣伝文の配置の仕方などのテクニックもあるが、一番大切なのは、販売者の商品に対する自信、思い入れである。
 雑誌の商品紹介を書く場合でも、その商品を自分に引き付けて、どこに魅力があるかを見つけられなければ、通り一遍のカタログ記事しか書けない。
 人を引き付けるのは、文章力ではない。それ以前の思い入れであり、情報の基盤がしっかりしていることが何よりも大切なのである。
 島の『はまさき』の歌詞に「元どぅ元なりゅり 先じ根ぬ咲きゅむぃ 先じ根ぬ咲きゅすぃ 根無しかでぃら」とあるように、奄美自身がその根元と行く先を見詰め直し、将来像を描いてほしい。マスコミが奄美の将来像を描くことはできない。マスコミができるのは、奄美の将来像を伝えることだけである。
 本稿は、今年九月に開かれた日本島嶼学会で発表を予定していたものであるが、残念ながら当日出席がかなわず、未発表に終わった。が、弓削政己氏より本紙上での発表を勧めて頂き、加筆、修正を加えた。この場を借りて弓削氏に感謝するとともに、本稿が、これからの奄美がどういう将来像を描き、幅広い情報を出していけるのかを論じるきっかけとなればと願っている。

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