南海050518
●システムと人間●
南海日日新聞2005年5月18日
●加計呂麻での事故
去る5日、加計呂麻でダイバーが亡くなり、翌日、重体の女性も死亡した記事は、7日の全国紙夕刊にも記事があった。
私自身もショックだったが、初心者用といわれる潮も穏やかな場所で天気も悪くなかった状況での事故だけに、ダイビングショップの方々、観光関連の方々、地元の方々のショックは私などよりはるかに大きいだろう。ことに9日からのダイビングキャンペーン目前に起きた事故だっただけに、関係者のみなさんの心痛は一入のはずだ。
詳細はわからないが、50回以上のダイビング経験があっても、こういう事故があるということ。なぜ、ガイドはふたりを見失ったのか。ダイブコンピュータで酸素残量のチェックをしなかったのだろうかなど、いろいろな疑問はあるが、あらためて海の中は「異界」であると思わざるを得ない。
●「10歳児を潜らせる、勇気がありません」
今月末、知人を連れて奄美へ行く。その予定を立てるために先月、ダイビングショップを調べていて、奄美は沖縄ほど観光施設、アクティビティが整備されていないけれど、逆にしっかりしてるように感じている。
「2泊3日でライセンスが取れます」
「子どもも10歳から潜れます」
そういう宣伝で、沖縄にダイビングに行くお客さんは多いだろう。こういう言葉は確かに魅力的だが、お手軽、簡単、昔で言う「安近単」とか「早い安いうまい」とかの流れだ。
今回、私たちがガイドをお願いすることにしたダイビングショップは、同行する10歳の子も可能かどうかという問い合わせに、次のような返事をくれた。
「10歳児の体験ダイビングは、申し訳ありません。ダイビング指導団体により、10歳児からできるというところもありますが、大人でも最初は、戸惑ったり、怖かったりで、うまくできないこともありますので、10歳児を潜らせる、勇気がありません」。
私は「勇気がない」と堂々と言う、その勇気に、感動した。それでも、時間を延長して子どもも一緒にシュノーケリングをさせてくれる、という心遣いも嬉しかった。知人達は残念がりながらも、海が、ダイビングが危険を伴うということをあらためて思い、この誠実な返事を全員が納得した。
安全に、楽しむ。安全だから、楽しめる。安全に終えられたから楽しい思い出になる。私はこの返事で、その基本を教えてもらったような気がしている。
そして、ダイビングのガイドは、その場だけでなく、連絡を取り合ったところから始まる、とも感じたのである。
●人から始まるシステムづくりへ
沖縄でできることが、なぜ奄美ではできないのか。
奄美は遅れている、とばかり考えてはいけないと、私は強く思う。
沖縄ほどダイビング客が多くない状況で、インストラクターのライセンスをもっている人を常に雇っておける余裕のある宿は、ほとんどないだろう。
でも、リピーターは確実にいる。
なぜ、リピーターがいるのか。
それは、やはり人との繋がりがあるからではないだろうか。
私自身が奄美を訪れるとき。そこにはガジュマルの下で語り合った名前も知らないおばあにまた会えるかもしれないという期待があったり、時期によって色を変え、風が変わる場所を訪れたかったり、人や自然との再会、その再会で新たに見えるものへの期待がある。
それは、一般的な観光とはだいぶ違うものかもしれないが、東京で、また奄美で出会う「奄美が好き」という人は、人との繋がり、人間的な温もりを求めているように感じる。
作り笑顔でない、照れたような、はにかんだような、相好を崩してちょっと困ったような、そんな笑顔ともいえない笑顔。島を思うとき、浮かんでくるのは出会った人たちの何とも形容しがたい表情だ。
そういうすごく人間味のある顔は、システムの中でつくられるものではない。システムのあり方自体を変えない限り、先にシステムありき、では無理だろう。
まず、人、あり。そこから自然な、無理のないシステムはできないのだろうか。
●繰り返し味わえる物語
ふたたび、ダイビングについて考えたとき、観光客、ダイビング客の気持ちとしては、せっかく行くのだから、何としても潜りたい、と思うだろう。
受ける側としては、せっかく潜りに来てもらうお客さんに楽しんでもらいたい、という気持ちがあるだろう。
以前、ある観光ガイドが「雨の多いこの島を訪れた人に、残念ですね、雨になってしまって、と言ってはいけない。逆に、雨で良かったですね、この島らしい雰囲気が味わえますよ、と言えるようにならなければ」と話してくれた。
できない、という勇気。予定を取りやめる、という勇気。それは営業的、収入の面からも非常に難しい判断を迫られる。しかし、なぜ、そういう判断をするのかを、きちんと説明することで、誠意を伝えることこそ大切なのではないか。
人と人とのつながりは、その誠意から生まれる。そしてそこから、訪れた人ひとりひとりの「物語」も始まる。気に入った小説を何度も読み返すように、そうした「物語」を紡いでいくことこそ、奄美への尽きぬ興味を生むことになると私は思う。
●「物語」を伝え、新たな「物語」をつくりだす
奄美でのダイビングにしても、陸上の自然を見るにしても、それは映画やビデオを見せるのとはわけが違う。生きている自然、「異界」へ入らせてもらうということだ。その「異界」にも、昔からさまざまな「物語」がある。
この3年あまり、私は陸上でさまざまな「物語」を聞いてきた。昔、あの山にケンムンの火が走った。戦争中、山は全部サツマイモ畑になった。かつてはこの流れの奥にカミサマがあり大事にしていたが、集落の住民が高齢化しそこまで上れなくなったが、あんた、行ってみてくれるか……。
こうした「物語」は、海にもある。糸満漁師たちの終焉を描いた「祭りの海」(安達征一郎・海風社)の圧倒的な海の物語に、私は衝撃を受けた。しかしこれほど洗練されていなくとも、海との関わりを多少とももって生きている島の人たちには、それぞれの「物語」がある。
昔の漁師は、山の稜線から漁場を見つけた。夏、見つけた小魚は冬になるまで獲らないでおく。潜っていて急に薄暗くなったので見上げたらサメがいた……。
都会で暮らしていると、こうした「物語」に疎くなる。森の中も海の中も、雑誌やテレビなどで簡単に見ることに慣れてしまう。空調の効いた安全な部屋の中で見ている画像や映像には、一条の危険もない。現実の森や海に身を置くことは、危険の中に飛び込んでいくことであるが、そうした意識がどうしても薄れてしまう。
都会で暮らしていればその簡単で便利、コンビニやスーパーで手軽に何でも手に入れられるという現実に、簡単だ、便利だ、ということさえ忘れていく。そしてそれをどこにでも、何にでも求めるようになる。いや、そうした手軽さが全国、万国共通だと思ってしまうようになりがちだ。「物語」を失っていくといってもよいだろう。
しかし、奄美には「物語」がある。その「物語」を伝え、新たな「物語」を生み育てていくことを、私は願っている。事実、私は奄美を訪れるたびに、その前からまだ見ぬ「物語」に憧れ、さまざまに語られるひとりひとりの「物語」に心震わせ、戻ってからも私の中に染みこんだ「物語」を熟成しながら次回への期待を膨らませているのだから。
●最後に
今回、加計呂麻での事故後、ご遺族の方が現地を訪れ、「こんなきれいなところで最後を過ごしたのね」と静かにおっしゃっていたと聞いた。ご遺族の方が、いまだけでなく、この先も同じ気持ちでいられるかどうか。それは、事故の当事者だけでなく、島の人たちみんな、いや、島に住んでいなくても奄美と関わりのある人たちすべてにとっての問題だろう。
なぜ、いま、こういう事故が起きたのか。
この事故から、私たちは何を考え、学び、生かしていかなくてはならないのか。
お二人の命の重みと同じ重みをもって伝えられていることは何なのか。
亡くなった方のご冥福とご遺族の方々にお悔やみをお祈りするとともに、静かに、真摯に、考えていきたい。